「思想の科学」という水脈

「思想の科学」という水脈

 

 

これから、このページで、鶴見俊輔(1922−2015.昨年7月20日に亡くなった。文筆家・『思想の科学』編集者・市民哲学者・戦後思想家・平和運動家)のことを話題にして、語っていきたい。すでに彼を知っていた人の間にも、彼を知らなかった人の間にも、その話題が広がっていくことを願ってこれを綴っていきたい。

この人の書いたものを読み、この人の生涯・言葉に触れて、こんな人がいるんだ、と何度驚嘆したことだろう。読むたびに新しいことを教えられ、一度として裏切られたことがない。私はこの人からさらに学び続けていきたいし、彼が切りひらいてきた思想をどう受け継いでいくかということに取り組んでいきたいと思っている。それとともに、鶴見俊輔の著書とより多くの人が、とりわけ若い世代の読者が出会う橋渡しになりたいと思っている。

鶴見俊輔は1946年から1996年まで50年間、「思想の科学」(月刊誌)を編集し刊行する中心にい続けた。「思想の科学」という場は、日本の日常的思想の可能性をきりひらく交流と批評、創造の場として、多様な人々の自由な結びつきをつくりだそうという運動だった。したがって、この人とともに歩んできた人、この人につながる人についても語っていきたい。そして、そのつながりの中には読者も入るということが、私たちにとって大切なことだ。もちろん、読者のなかには未来の読者も入る。

私は鶴見俊輔の一読者としてこれを記していく。(2016.6.23)

 

 

第1回 鶴見俊輔と黒岩涙香翻案『巌窟王』

 

 

黒岩涙香翻案『巌窟王』のことを鶴見さんは、「ただ一作といえば」(『鶴見俊輔書評集成3』みすず書房所収)という文章の中で語っている。

 

自分の一生涯をつかまれたという著作にめぐりあってはいない。強いて言えば、アレクサンドル・デュマ作・黒岩涙香翻案の『巌窟王』だ。・・・・今日までに七十年くりかえし読んで、あきない。百遍以上読んであきない。(この文章は2006年に書かれている。註――上野)

 

黒岩涙香の語り直し『巌窟王』は明治34年(1901)から翌年にかけて日刊紙「萬朝報」に連載されたのが初出で、鶴見さんが読んだのは、昭和3年の改造社版上下2巻本。

 

 

この改造社版とほぼ同じ状態で2006年に、はる書房から世界名作名訳シリーズとして上下2巻で出版されたもので確かめたところ上下で1000ページある。

1000ページの長編を100回以上読んであきない、と聞くと、驚いてしまう。一体これは何なのだろう。鶴見俊輔という人の中で、どのような精神の運動が起こっているのだろうか。ここには何か奥深いものがあるにちがいないように思えて、「ただ一作といえば」は、初めて読んだ時から、ずっと気になって、何度も取り出して、読んだ。

一方で、どんな本なのか、私自身、読んでみたいという思いもどんどん強まってきたのだが、この本は、なかなか入手が難しく、この5月にやっと読むことができた。版元では品切れになっているし、古書も高い値段がついていて、諦めざるを得ない。講師をしている自由の森学園の図書館経由で県立図書館から借りることができた。黒岩涙香翻案『巌窟王』は期待に違わず、素晴らしいものだった。黒岩涙香の文体にはデモクラティックな情熱が脈打っているし、内容をしっかり取り込んだうえで、自分の言葉で語り直すという翻案という形が文章とものがたりに力を与えている。鶴見さんは「明治はじめの自由民権少年だった涙香の情熱が百年をこえてつたわってくる」と表現している。名作『モンテ・クリスト伯』(代表的なものとしては岩波文庫全7巻)として知られているこの作品は、少年向きの読み物として『巌窟王』のタイトルでもいくつもの版が今もある。漫画にも描かれているようだ。読まれたひともいることだろう。

 

さて、私自身黒岩涙香翻案『巌窟王』を感動をもって読み終え、あらためて「ただ一作といえば」を読み返していくと、そこには鶴見さんの生涯をつらぬくかたちが表れているように思える。このことを考えてみたい。引用は、すべて『鶴見俊輔書評集成3』(みすず書房)よって進める。

 

なぜ、『巌窟王』を読むのか?

今、84歳になって、あざやかに残っているのは、少年団友太郎が地下牢に閉じ込められて、ひとり暮らし、やがて、他の一人と通信ができた。そのもうひとりの独房にむけて地下道を掘りぬくことができた。この新しい友、梁谷法師と共に脱出する計画を立てたが、相手が突然に卒中(らしきもの)におそわれる、ここで、共に脱出する計画を惜しげもなく投げ捨て、これまで長い時間をかけて掘り抜いた地下道を、看守に見とがめられないように埋めてしまうところ。ここから師弟のきずなが生まれる。

こういう地下道を掘り抜く情熱を、人生において私ももちたい。もつことができるか。そのあこがれだった。

1922年生れの私は、そのように一心に打ちこむ目標をもたなかった。

 

地下牢に閉じ込められた団友太郎少年というこの物語の主人公の設定は、絶体絶命の境地を生きるという冒険物語の王道といってもいいものだが、ここでは鶴見さんが幼少期か

らおかれた環境が主人公団友太郎への強い感情移入を引き起こしたにちがいないことに注目したい。後藤新平という近代日本における傑出した政治家を父にもち、その家で過剰な正義観と、傲りと高ぶりへの強い自戒の気組みを育てた娘が彼の母、愛子であった。この母親の過剰に厳しい愛と正義のしつけに鶴見少年は、必死の反抗をもって向き合い、苦しく、緊張に満ちた日々をおくっている。この境涯のなかで、彼は自らの中に悪人としての自意識を育て、自分は不良少年として生きてきたと語る。この、母親の厳しい愛と正義に対抗した少年の必死の反抗、そして悪人としての自意識と不良少年を出自として持つ生き方は、鶴見俊輔の哲学の心棒というものに成っていくが、そのことについては、いずれあらためて記すことにしたい。

苦しみと緊張から逃れる道を求めた彼の前にあったのが本の世界に入ることだったと鶴見さんは回想している。一日4冊の本を読み、少年時に1万冊に及んだという彼の回想には、驚嘆するほかない。何と壮絶な闘いの日々であることだろう。この闘いの日々の中でも、黒岩涙香翻案『巌窟王』は格別の一冊であったということは間違いない。土牢の中で孤独に闘う友太郎少年の物語がどれほど鶴見少年を励ましたか、想像に難くない。「土牢の中で孤独に闘う少年」とは、鶴見少年その人だったと言えるのだから。「こういう地下道を掘り抜く情熱を、人生において私ももちたい。もつことができるか。そのあこがれ」によって鶴見さんはこの本を生涯にわたって読み続け、100回以上に及んだ。そして、それは、始めは「あこがれ」だったものが、やがては持続する強い意志へと変貌していったように思える。彼のことばを追ってみよう。先に引用した箇所のつづきである。

 

1922年生れの私は、そのように一心に打ちこむ目標を持たなかった。1928年、

張作霖爆殺の号外が投げこまれて、まだ学齢前だったが、まわりの者が、日本人がやったとうわさしているので、「日本人」というのはおそろしいものだと思った。やがて小学校に行ってからも、弱い者いじめをする日本人という感じはかわらず、日本国に対する忠誠心は育たなかった。しかし、忠誠心を求める気分はあり、それゆえに、孤独の少年が、師を求める努力が、『巌窟王』を通して私をとらえた。・・・・

 

この本を読んでから数年、私は日本からはなれて米国に行き、15歳のときに11歳上の都留重人に出会い、それから70年近く、この人をただひとりの師として、年月が過ぎた。この70年近く、日本は全体主義の土牢にあり、今は米国も全体主義の土牢にあり、その転変をとおして、私は、都留さんから、同時代に対する指針を受けとった。土牢の師弟のはなしが、子供のころとおなじく、感動をよびさますのは、私にも、ひとりの師がいて、この世界を過ごしてきたという記憶があるからだ。

同時代の起点は、日本人による張作霖爆殺の号外にあった。

 

鶴見俊輔は日本人としての同時代意識の起点を1928年の張作霖爆殺事件に置いて

いる。それはこども心に映った日本人をおそろしいと思う感覚から始まっている。それは、やがて日本人の置かれた状況を「全体主義の土牢」としてとらえていくようになり、大きな認識へと変貌していく。この土牢という『巌窟王』という作品のカギを握ることばから「全体主義の土牢」という歴史・社会を展望する視野が生まれるところに鶴見俊輔の思想の比類のない魅力がある。土牢の中の少年の孤独な闘いの心身の感覚が一方にあり、もう一方には日本の近現代社会をまるごと「全体主義の土牢」として見つめて退かぬ思想家の精神がある。孤独な少年の心と歴史社会を見つめる思想家の精神は自在に行き交う。地下牢の心身感覚は大きな歴史社会と通じるものとして生きているのだ。ここであらためて注目すべきは、「全体主義の土牢」を戦中の日本社会だけでなく、戦後社会さらに高度成長以後の時代を含めた近現代全体をおおうものとして彼が考えていることで、日本社会の中心に根を下ろしている問題から終生目を離さない彼独特の持続の姿に私たちはこれから何度も出会うだろう。

 

ところで、「ただ一作といえば」の中で、私が最も心を打たれたのは「土牢の師弟の話が、子供のころとおなじく、感動をよびさますのは、私にも、ひとりの師がいて、この世界を過ごしてきたという記憶があるからだ」という個所。『巌窟王』によってひらかれた師弟のきずなへのあこがれを、現実のものとし、しかも15歳から70年にわたって育て続けた話は、文学という果実が、現実の果実を生んだ、稀有の出来事ではないだろうか。

こうしたなかで、私には一つの課題が浮かび上がってきている。それは「今は米国もまた全体主義の土牢にあり、その転変をとおして、私は、都留さんから、同時代に対する指針を受けとった。」と鶴見さんが述懐している内容を追跡してみたいということである。ただ一人の師である都留重人から鶴見俊輔は何を受けとってきたのか。

 

 

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